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K/Night

K/Night

Dragon Knight 運命の歯車―1―

知っていた。
君は知らないかもしれないけれど、俺は知っている。
初めて見た君は、無邪気に笑っていた。
決して中では見せないそれを、いとも簡単に見せていた。
まるで精霊に祝福されたかの青銀の、癖のない綺麗な長い髪を素っ気無く結んで風になびかせて。
見惚れていた。
純粋に、綺麗だと感じた。
まだ、君は大人になっていないにも関わらず、誰よりも綺麗だと。
俺は…あの時、君を見た瞬間から誰よりも好きになっていたんだ。

彼女―――エリクがこの『フィーア村』に現れたのは2週間前だった。
ある老婆が、村の外に倒れていたエリクを見付けた時、彼女には既に前の記憶は失われていた。
名前―――それだけが、エリクの存在を証明する唯一の物だった。
しかし急に現れたエリクを直ぐには村人は快く迎え入れはしなかった。
青銀の髪、その尋常ならない髪の色に、ある者は魔物だと堰を切って主張する。
そんな大人の態度は子ども達の態度となって現れた。
エリクは何も反論はしなかった。
記憶が無いということは致命的である事を幼心に感じ取っていた。
だからこそ、エリクは就寝する時くらいにしか村へ戻って来ることはなかった。
早朝に引き取ってくれた老婆の家を抜け出し、誰もが家で過ごす時間になって初めて村に戻る。
エリクを村の中で見掛ける事は無い。
その行動も、人々に不信を抱かせる要因になっている事に気付いているはずなのに。
いや、それだからかもしれない。
村の中にも居る事に不信を抱かせているのだ。
いない方が良い…そう考えているのだろう。
だからこそ、出会ったのだ。
エリクという1人の少女とノインという1人の少年が出会ったのは―――

まだ夜が明けきらない中に、青銀の髪が唯一色を放っている。
気温は低い。
エリクは羽織るマントに上半身を包み込んだ。
息を吐いても白くはならないが、寒さからは体は震える。
ブルリと一度震え、何時もの如く村の中を横切っていく。
カシャ、カシャ―――
腰に吊った剣が静寂を破りながらエリクの背後を追ってくる。
誰一人として起きている者はいなかった。
例え起きていて、エリクの姿を見掛けても、呼び止めるものはいないだろう。
村の入り口に立ってエリクは習慣になった、村を振り返る、という動作をした。
薄い青色に染まり始める家々。
それはエリクだけが知る世界だ。
大好きな光景だ。
しかし好きなのはそれだけではない。
村も人も、全てをエリクは愛してやまなかった。
「でも」
―――私は受け入れられていない。
目を伏せる。
息を飲み込む。
踵を返し、村を出る。
それでも―――ここから離れられない。

窓から射す光に目を醒ますのが習慣だった。
耳を清ますと下から物音が遠慮がちに響いてくる。
1つ大きな伸びと欠伸をして、ノインは身支度も早々階段を降りていった。
―――昨日は騒がしかったな…
声には出さずに心の内に留めて呟く。
その昨日は、本当に慌ただしかったのだ。
一家の大黒柱でもあるノインの父親、ダンカンが村の横にそびえる『白夜の森』で行方不明、否迷子になったというのだから。
方向音痴なダンカンが迷子と聞いて家族含め村中が心配をしたのだが、本人はそんな心配をよそにひょっこりと戻って来た。
どうやって戻って来れた、と誰もが尋ねたが、ダンカンは言葉を濁しては、まぁ適当に、と返答するだけ。
何かを隠しているようではあったが、結局それを話す事はなかった。
「おはよう」
声を掛けると母親のハンナが振り向き、
「おはよう、ノイン」
柔らかく微笑む。
「お父さんを外から呼んできて?ご飯にしましょう」
「はいはい」
適当に返事をしてノインは外へ出る。
ダンカンは庭で槍の素振りをしていた。
ノインに気付くと動きを止め、木に掛けた布を取り汗を拭う。
「飯か?」
「うん」
「ノインはまたあの子の所か?」
その問いにノインは返事をしない。
顔を真っ赤にさせ口を閉開させている。
本人はあの子の所に行っている事を内緒にしていたつもりだったのだ。
それがバレているのだから、恥ずかしいやら腹ただしいやらで何も言えない。
そんなノインを見てダンカンは大きな笑い声をあげた。
「父さんに隠し事をしても全てお見通しだ。でもまだ話した事はなさそうだな」
「う、うるさい!」
顔は真っ赤のままだ。
半ば自棄で怒鳴って家へ戻ろうとすると、
「早く友達にならんと告白も出来んぞ」
からかい口調が背中に投げられた。
「―――っっ!!」
グッ、と言葉に詰まり勢い良く振り返る。
顔が熱かった。
その様子にダンカンは豪快に笑う。
これでは何を言っても笑われるだろう。
ノインは気持ちがバレている事と悔しさで笑うダンカンを睨むと、家に入って勢い良く戸を閉めた。
はらいせに鍵を閉めてやる。
後からダンカンが腹の虫を鳴らせながら、開けてくれと戸を叩き懇願していた。

慌ただしく朝食を済ませたかと思ったら、部屋に戻ってマントと愛用の槍を持って降りてくる。
玄関前でマントを羽織るノインに、
「遅くならない内に帰って来てね?今日はあなたのお姉さんが帰って来る日なんだから」
マントを整えてやりながらハンナが声を掛ける。
「分かってるよ。俺もう14歳なんだよ?」
大人として見て欲しいノインは少しイジケながら答える。
それが子どもっぽいという事は百も承知だ。
「じゃあ行ってきます」
槍を抱えて外に出る。
「行ってらっしゃい」
ハンナの声にダンカンの声も重なってノインを見送る。
外に出ると太陽の光が眩しかった。
目を細めて辺りを見回す。
外にいるのは数人の大人だけだ。
友達である子ども達はまだ寝ているのだろう。
それはノインにとっては好都合だった。
槍を抱えるノインを見れば好奇心旺盛なその友達は必ず何処へ行くか聞くに決まっている。
其所であの子を見に行くなんて言ったらどうなる事やら。
きっと嵐の時の津波の如き非難を浴びるに違いない。
そうなれば面倒だった。
喩えあの子が大人や友達が思ってるような子じゃないと言ってもだ。
そう、あの子は森にいるのだ。
『白夜の森』と呼ばれる其所に。
深くもなく、かと言って村から近くもない場所に、何時も必ずいる。
ノインが初めて其所に訪れた時からずっとだ。
それにノインはまだ隠していたいという思いもある。
あの子があんな風に笑うのを。
それを知る自分を。
あの子に一番近いのはまだ自分でありたかった。
ノインは人目に付かないように村を横切る。
一番の問題は自分の方向音痴があったが、今の今までどうにか何時も場所に行けたのだ。
今回も行けるだろう、自分に言い聞かせる。
村を出てノインは初めて満面の笑みを浮かべる。
今日こそは話し掛けよう…
朝、ダンカンにあんな事を言われてノインは決心していた。
「よっし。行くか!」
自分に活を入れる。
ノインは辺りを一度見回すと、森の中に入って行った。

何故か、森の中は音が無かった。
何時もはさえずる鳥の鳴き声もしない。
妙だった。
普段の姿とはまるで違う森の様子に戸惑いながらノインは進んでいく。
既に今いる場所すら分からない。
「困ったな」
何時も思う事だか今日はそれ以上に思う。
何か1つでも今いる場所を示す物があれば良いのだが、辺りを見回してみても何も見付からなかった。
「困ったな」
再度呟く。
歩く速度は徐々に緩くなり、完全に止まってしまった。
気味が悪くて仕方がない。
冷たい風が頬を撫でる。
その時だった。
初めての音を拾ったのは。
嫌な予感がした。
何時の間にか走っている。
何処を走っているのかノインにも分からない。
でも確実に近付いている気がした。
あの子の所に―――
青銀の髪が木々の間から覗く。
鈍い剣の光。
振り返る翠眼。
「エリク―――ッ!」
目の前には人間の何倍もある魔物。
焦る彼女の唇が言葉を象る。
アブナイ―――
「危ない!!」
同時に高さの異なる声が重なる。
ノインの槍が背後から襲ってきた魔物を捉えるのと、油断したエリクの体を魔物の爪が捉えるのが、それぞれが行動を移す前より一足早い。
剣が音を発てて地を滑る。
「エリク―――ッ!」

固い地面の感触。
右腕には鋭い痛み。
霞む視界の中にはこちらに背を向け魔物と対峙する少年。
「―――っ…」
右腕から血が流れる感触。
動くと、それだけで意識を失いそうになる。
「くっ…!」
少年の口から声が漏れる。
エリクをかばっているために防戦一方を強いられていた。
「どうして…?」
自分に関わる少年の存在を信じられなかった。
その声に反応して一瞬少年が振り返る。
苦痛の中に微かに浮かぶ微笑み。
「大丈夫か?」
どうして―――
エリクは奥歯を噛み締める。
今此処で気を失っている場合ではなかった。
今目の前の少年を失いたくはなかった。
エリクが何時の場所にいる時に陰に隠れて見守るようにいた少年を。
「…そいつは皮膚が固い。通常の攻撃では仕留める事は出来ない。柔らかい部分を狙うんだ」
自分の言葉は信じてもらえないのではないかという不安。
一呼吸あって分かったと頷いてくれたのを見た時、それは安堵に変わった。
後は何処かに落ちた剣だけだ。
このままでは共倒れになる危険性がある。
視線を巡らす。
何処だ―――?
「あそこだ」
少年が魔物の群れる中心を顎で示す。
何故分かったのだろう―――?
見上げると少年は手を差しのべてエリクを立たせる。
「俺があれを引き付けられるのは15、いや10秒しかもたないだろう。それでどうにかなるか?」
あぁ、そうか。同じなのだ。
武器を持つ者として、闘う者として、同じだから相手の思考が少し読める。
頷いて、エリクは手を離す。
「行くよ」
深く息を吸い込んで槍を構え直す。
少年が踏み込むのとエリクが走り出すのは同時だった。
真正面から少年が突っ込む。
一瞬、群れが崩れた。
その隙を見逃すはずはない。
エリクの右手が剣の柄を掴む。
激痛が走るが気にする余裕はなかった。
目の前の魔物が振り返るのを見計らって口から一気に剣を突き込む。
くぐもった鳴き声に合わせて血が吐き出され、中に入った剣と腕を濡らした。
「エリクッ!」
少年の声が危険を知らせる。
口から剣を振り抜き続け様に横に迫った魔物の眼球に突き刺す。
そしてもう片方も。
「…はっ…」
短く呼吸する。
後は何匹だ―――?
視界がぶれる。
ぼんやりとした影がこっちに向かっている。
「…ぇ…?」
一瞬、影は人の形を象った。
停止した思考。
忘れかけていた激痛が右腕を襲う。
剣が地に刺さった。
「エリクッ!」
「…ぇ…?」
影が姿を変える。
それは突進をしてくる魔物の影だった。
しかしエリクの体は動かない。
荒い鼻息と口からの呼吸がいやに大きく聞こえる。
膝から力が抜ける。
辛うじて少年がエリクの体を支えた。
槍を片手で構える。
駄目―――っ!
魔物の口から頭蓋を割って槍が貫く。
そしてエリクの剣が眉間を貫いていた。
剣の柄からエリクの右手が離れる。
支えを失った柄が皹を作り地面に落ちた。
填め込まれていた翠の石が外れて転がる。
「…ぁ」
壊れた剣を見つめる。
「エリクッ!」
呼び掛ける声が遠くから聞こえた。
「…大丈夫…」
それは自分が言った言葉なのか既に分からなかった。
「…大丈夫…」
エリクの意識はゆっくりと沈んでいった。

「―――12歳の誕生日おめでとう、エリク」
目の前に差し出されるケーキ。
暖かい光が満ちる家。
微笑む3人の大人。
「ありがとう!」
顔を輝かせるエリク。
目の前にいる青年に手を伸ばし、頬にキスをする。
「―さんも、―さんも、―さんも大好き!」
名前を呼んだのか、それは急に、まるで見えない壁が邪魔するようにくぐもってはっきりとは聞こえない。
視界もぼやける。
体が180度回転するような感覚。
―――熱い。
人が焦げる臭い。
逃げ惑う人の叫び声。
「―さん!」
先程出てきた中の1人の男性に叫ぶ。
男性の腕の中には同じく先程出てきた大人の1人、女性がいる。
「逃げなさい!エリク、―!」
エリクと隣にいる先程の青年に青ざめた顔で指示する。
「でも…!」
直も言い掛けるエリクに首を振り、青年に首を傾ける。
「エリクを頼んだぞ。必ず、逃げきってくれ」
静かに頷く青年。
エリクの手を握る。
「駄目だよ、―さん!―さんと―さんが!」
手を振りほどき2人に駆け寄る。
だが一瞬にして2人の体からいくつもの氷の刃が生えた。
口から溢れるように血が一筋流れる。
その横には黒い法衣を着た人間。
2人を一瞥し、エリクに手を伸ばす。
「エリクッ!」
青年の声。
「いっ…」
体が震える。
涙が溢れ出す。
「いやああああああっっっ!!」

はっ、と気が付くような感覚。
始めに見た物は木材で出来た天井。
「起きた?」
声がする方向に首を傾けるとあの少年がいた。
「…お前…」
「ノイン。大分熱下がったね。随分うなされてたから心配した。今父さんと母さん呼んでくるからまだ寝てて良いよ?」
ノインはエリクの額に乗せていた布を水に浸し、絞ってから再度額に乗せた。
まだ状況の分かっていないエリクに微笑む。
「無理に起き上がっちゃ駄目だよ?傷が開くから」
そう念押ししてノインは部屋を出る。
「その前に此処が何処だか教えて欲しいのだけど」
まだ熱の残る体を起こし、改めて部屋を観察する。
今寝ているベッドに、少し小さめの衣装ダンス、小さな机に付属の椅子、そしてベッドの横に置かれた小さな引き出し。
埃は被っていないがあまり使われていないらしい。
エリクが引き取られた家のものではない、何処かの客室なのだろう。
いや、ノインの家の客室と言った方が当たっているだろう。
引き出しの上に置かれた小さなランプに手を伸ばす。
正確にはそのランプの足に寄り添うように置かれた、小さな物体にだった。
翠の光沢を放つ石。
それはエリクの剣に嵌っていた物だった。
「…拾ってくれていたのか」
あの剣はエリクがこの村来た時に所持していた唯一の物だった。
剣は壊れてしまったけれどそこに嵌っていたこの石だけでも手元に残ったのは嬉しかった。
「もし…拾ってくれていなかったら、私は私に繋がる手掛りを失っていたな」
握り締める石は冷たかった。

階段を上る足音に顔を上げる。
戸を2、3度叩く音の後に静かに開く。
「気分はどうだ?エリク」
見知った黄色の髪。
「君がノインに抱えられて此処に来た時は本当に驚いた。その腕の傷も後少し治療が遅ければ使い物にならなかったかも知れなかったぞ」
少し怒った口調なのは、まだ子供の2人が数匹の魔物相手に無茶をしたからだろう。
ベッドの脇に置かれた椅子に座り、腕を組む。
直ぐ後ろにはノインの姿。
「家の方には連絡をしておいたから、今はゆっくり休むと良い」
「…ありがとうございます。ダンカンさん」
ダンカンは初めて其所で微笑んだ。
「無事でなによりだ。剣が壊れてしまったと聞いたのだが、良ければ明日にでも私が新しいものを用意しておこう」
それからエリクの手に握られた石に目を移す。
「それは大切な物なのかな?」
「え?あ…はい」
おずおずと応対するエリクはまだぎこちない。
人との接触を出来る限り絶っていた為に会話をするのも慣れていなかった。
「なら身に付けられるよう少し手を加えてあげよう。貸してみなさい」
エリクの手からダンカンの手に石が移る。
一度じっくり眺めて、それからポケットにしまった。
「何?父さんは何時エリクと知り合いになったんだ?」
今まで事の成り行きを黙って見ていたノインがこれ以上は我慢出来ないとばかりに話しに入る。
「ああ、昨日世話になったんだ」
「昨日?」
昨日といえばダンカンが森で迷っていた時ではないか。
「…もしかして丁度森にいたエリクに道案内してもらったのか?」
ダンカンからの返事はない。
視線はあらぬ方向へ。
どうやら図星だったようだ。
「まあ、エリク。今日は此処でゆっくりと休むが良い。食事の時間になったらノインを呼びに行かせるから」
息子にこれ以上失態を見せたくないのだろう。
ひきつった笑みで何とかやり過ごし、ダンカンはそそくさと部屋を出ていった。
残された2人は唯見つめ合う。
「…あんなにしてもらって本当に良いのだろうか?唯でさえ私がいる事自体が迷惑なのに」
先に口を開いたのはエリクだった。
視線を反らし、石の無くなった手を見つめる。
「別に父さんも、もちろん俺も迷惑だなんて思ってないよ」
今までダンカンが座っていた椅子に腰掛け、ノインはその手を取る。
「俺達は皆が思っているようにエリクを思っているわけじゃない。エリクはこの村にいるような普通の女の子と一緒だよ?何ら変わりがない。髪がとても綺麗だという事だけだよ」
仄かに顔が熱くなる。
心なしか、エリクの顔も赤く見えた。
「…私にとってはノインの髪の方が綺麗だ」
「俺?」
まさか自分のが綺麗だと思うはずもなく、思わず聞き返すノインにエリクは頷く。
躊躇いながら柔らかな手がノインの黄色い髪に触れた。
次に頭に巻かれた赤いハチマキに。
そして真紅の瞳の目尻に。
「黄色の髪に真紅の瞳。どちらも炎のようにとても暖かい。私は…好きだな」
「―――っ…」
まるで早鐘のように打つ鼓動。
触られた所から熱くなってどうにかなってしまいそうだった。
「おっ…俺の事なんかもう良いからさ、エリクはもう寝た方が良いって!」
顔がもの凄く熱いからきっと真っ赤だろう。
悟られたくないからエリクに布団を被せる。
あっけなく布団に下敷にされ、エリクは慌てて顔を出した。
その顔がノインに負けず劣らず明らかに分かるほど赤い。
「…寝るまでで良いから手、繋いでも良い?」
「…良いよ」
真っ赤の顔の中に、恐怖が見えたのは気のせいか。
今度はノインがエリクの髪をいじりながら手を差し出す。
「…ありがとう」
視線を合わせる事はない。
差し出された手を両手で包み込んで布団に入れる。
握るとエリクは弱い力で握り返した。
部屋は静か。
溶けるように響く呼吸音が眠りに就いたエリクが生きている事を示していた。

幾重もの手が伸びる。
あの夢の、黒の法衣を来た人間の顔がいくつも追ってくる。
髪が掴まれる。
腕が掴まれる。
服が、体が、足が、顔が掴まれる。
声が出ない。
闇に沈んでいく。
夢中で手を伸ばす。
「―――っ!!」
目を見開く。
沈む。
その瞬間に誰かが手を掴む。
力強く手は引っ張る。
顔が出る。
胸が出る。
髪が、体が、腕が、足が出る。
自由になった体で掴む手に縋る。

「大丈夫だよ」
手を握り、背中を撫でる仕草は優しい。
涙で霞む目を向けると、ハチマキを解いて軽装になったノインがいる。
「大丈夫」
背中を撫でていた手が今にも溢れそうな涙を拭う。
「俺がいるから」
ノインの手を握り締める手に力が篭る。
離さない、と言うように。
再度エリクの瞳が閉じられる。
寝息が聞こえ始めてからノインはエリクの額に浮かんだ汗を拭った。
何を見た―――?
とっさに浮かんだ言葉を口には出せなかった。
安心させてやらなければならない気がした。
時折縮こまる体をなだめるように撫でる。
「……」
夢にまで現れるその恐怖。
一体、どんな過去が封印されているのか…
エリクが握るノインの手は白くなったいた。

目が覚めると誰もいなかった。
「…夢?」
追い掛けられる夢を見た後にノインが手を握ってくれたのは。
けれど微かに手にはノインの手の感触が残っている。
「…人の感触だ」
エリクは無意味に手を握っては開いた。
触られたのはエリクの引き取り手である老婆とダンガンに次いで3人目だったが、自らが進んで人に触った事は初めてだった。
そう、自らが進んで―――
「―――ぅ…」
思い出して一気に顔が熱くなった。
1つ思い出したら他の事も思い出して更に恥ずかしくなった。
誰も見ていないけれど頭から布団を被る。
そんな自分の行動に恥ずかしくなって結局布団から這い出た。
その時に引き出しの上に何か置いてある事に気付く。
1番上には紙の切端。
〈エリクの替え用の服〉
「服?」
手に取って広げると膝丈まである薄い水色の上着と、中に着用する白い服、そして同じく白いズボンだった。
改めて自分の格好を見てみる。
「…ボロボロだ」
服もズボンも擦り切れて汚れている。
1番目立つのは魔物に切られた部分だった。
大きく裂けて、とてもじゃないがこれ以上は着られそうにもない。
「…良いのかな?」
流石にこの格好で人前に出るのは憚られる。
考えあぐねて、エリクは躊躇いながらも着替を始めた。
「エリク?入るよ?」
ほどなくしてノインの声と戸を叩く音が聞こえた。
「…どうぞ」
着慣れない服に違和感が付きまとい落ち着かないし、この格好を見られるのも正直恥ずかしい。
けれど、どうあがいても誰かには会ってしまうし、今ノインを入れないのは不自然だ。
口ごもりながらもエリクは返事をした。
「…服、気付いたんだな」
入って来たノインの動きが一瞬止まったのは気のせいか。
エリクは首を傾げる。
「着ても良かった?」
「ああ、古着だけど良かったらもらってな?もう誰も着ないからさ」
言いながらノインは布団を整える。
「夕飯の準備が出来たから呼びに来たんだ。丁度良かったな。体辛くないか?」
夕飯、その言葉にエリクは窓を見る。
空は、あの法衣のように雲1つなく黒に染まっていた。
だからノインはハチマキを外して軽装なのか、と納得する。
「もう大分平気」
「なら下に降りようか。皆エリクに会いたくて待ってるんだよ」
自然に手を取るノインに、一瞬体が逃げた。
「あ、ごめ…」
お互い顔が赤くなる。
首を振って、エリクは離れようとした手を握った。
ぎこちなく微笑む。
「行こう?」
「……っ…」
人に向ける初めての微笑みだった。
ノインが見たいと望んでいたそれ。
嬉しくて、嬉しくて、頭の中が沸騰しているようだ。
「うん」
壊れやすい物を包むように握り返す。
今、また握り返すエリクの手が夢ではないかと考えてしまう。
でも振り返ると今度はぎこちなさのなくなった微笑みが返ってくる。
胸がいっぱいだった。
このままエリクが心を開いてくれれば良いのにと思う。
「俺だけにでも…」
それは欲張りですか?

階段を降りる。
人の声がする。
誰かがこっちに向かってくる足音が聞こえる。
赤銅色のボブカットの髪が目の前に広がる。
「―――っ…!?」
「やだ可愛いー!!」
いきなり抱きつかれたエリクは握っていた手を思わず外し、硬直した。
「お肌すべすべ、髪の毛綺麗ー!服が似合いすぎ!良かったわー取って置いて」
うっとりと眺め、触る目の前の人物。
「ぇ…?ぁの…」
真っ赤になって困惑するエリク。
ノインがすかさず間に割り入ってエリクを腕の中に取り戻す。
「アルマ姉さん?」
凄味を利かせて睨むが、アルマには効いていない。
「取られちゃったのが悔しかったのかしら?私だって父さんからの手紙を読んだ時からずっとエリクちゃんに会うのが楽しみだったのよ」
だからあんただけじゃないのよ、と顔に書いてエリクをノインから連れ戻す。
ノインは自分とは比べ物にならない凄味に何も出来ない。
「私はノインの姉のアルマよ。宜ししくね?」
「宜しく…お願いします」
アルマの勢いに乗せられたのか、エリクもすんなりと挨拶する。
そうしてやはりまた抱きつかれるのだった。
「…姉さん。エリク困ってるから」
いい加減やめろ、とばかりにノインはアルマを剥がす。
アルマの腕から解放されたエリクは赤い顔のままノインの背後に立つ。
少し安堵しているように見えるのは気のせいではないだろう。
「そっか。エリクちゃんは人との触れ合いがまだ苦手なのよね?ごめんね?びっくりしたでしょう」
今その事を思い出して、慌ててアルマは謝る。
「ぁ…大丈夫です」
同じく慌ててエリクは首を振った。
「ノインの…家族なら大丈夫みたいなんです」
「ぇ…?」
思わず振り向くノインの頭に急に鈍痛が走る。
「っ…てぇ!!」
「良くやったじゃない、あんた」
涙目でまた振り返るノインにアルマはニヤリと笑う。
「…ぅ…うるさいよ」
気恥ずかしさに言ったら今度は容赦なくで殴られた。
「っ…てぇ!!」
「ふん。母さん達が待ってるから行くわよ」
言って、ノインを置いてエリクの手を引いていく。
「今日は一緒に寝てみない?エリクちゃん」
「ぇ!?」
「ちょ…姉さん!!」
不思議だ。
エリクは姉弟のやりとりを見ながら思う。
この中にいるのは居心地が良かった。
家族とはこういうものか…
少し寂しくもなった。

深い闇が空を支配している時分。
村長の家だけは明かりが灯っていた。
「良く無事に戻って来たな、アルマ」
村中の男が集まっている其所に、アルマが村長を目の前にして立っている。
隣にはダンガンがいた。
「ご心配おかけしました、村長」
夕飯時に見せていた微笑は何処へやら、アルマは表情1つ変えず頭を下げる。
「では本題に移ろうかの。今後、あの子はどうするべきか?」
静かな波紋が広がる。
その殆どがあの子を否定する。
「やはりあの子を追放するべきでは?」
「あの髪はこの村に災いを運ぶ」
「魔物が増えたのもあの髪のせいだ」
「何時この村が襲われるか…」
「あの子は追放するべきだ」
「…酷いものね」
周囲の声を聞きながら、アルマは苦虫を噛み潰したの如く表情を歪ませる。
「お言葉ですが皆さん。私はあなた達のような考えではないわ」
アルマの声は水に油を垂らしたように家の中を静める。
「あの子の髪が災いを運ぶと言うのなら、私達の髪も災いを運ぶ事になりかねません」
今度は波紋が広がる。
「静かに」
ダンガンが大きくはないが全員に聞こえるように注意する。
「この国では確かにあの子の髪は珍しいかも知れないわ。でも、他国にとっては珍しくはないかも知れない。魔物ハンターとして、私は多くの人と会ってきたわ。依頼者の中には他国の人もいた。その人達は緑や銀色をしていたわ。他国によって髪の色は違うのよ。あの子、エリクの髪もきっと他国のものなのよ」
「なら、アルマ。あの子は『普通』の子だと?」
誰かが非難の声をあげる。
「ええ。あの子は普通の、この村にいる子と至って同じだわ。もし、災いを運ぶのだったら、今頃この村はないでしょうね」
「私も同意見だ」
ダンガンが頷く。
周りは顔を見合わせ口々に意見を交し合う。
当たり前だ。今までの考えが崩れようとしているのだから。
アルマがこんなにも早く戻って来てくれて良かったとダンガンは思う。
このままだったら、今度こそエリクをかばいきれなかっただろう。
いくらダンガンといえども限度があった。
だからこそアルマを呼び戻したのだ。
でも―――
「…ならばわしらが間違っていたのかの。皆、どうかの?あの子を受け入れてみんか?今思えば、あの子は記憶もなく身内もいない哀れな子だ。本来ならわしらが家族となってやるべきだった。わしらはこれからあの子に償いをするべきではないかの?」
ゆったりとした口調に誰も否は唱えなかった。
「あの子が安心して暮らせるよう、手を差しのべるのだ」
渋々ではあった。
だが周りは承諾した。
ダンガンとアルマに笑みが浮かぶ。
でも―――
家に戻り自部屋に戻ったアルマはベッドに寝るエリクに視線を向ける。
暗い部屋の中でも青銀の髪は仄かに光沢を放っている。
「でも…」
アルマはエリクの髪に指を通す。
身じろぎこそしたが起きる気色はない。
「でも、あなたの髪の色は見た事がない」
テーブルに肘を立掛けて座るダンガンはアルマが消えた階段の奥を見つめる。
「青銀の髪はエリクだけ。君は一体何者なんだ?」
それは言葉では言い難い不安だった。
エリクの、子供達の未来を案じる不安だったのかも知れない。

「なあ、聞いたか?」
馴染みの声にシャナは振り返る。
村の中を吹く風が黒髪を揺らした。
「彼奴の事」
「聞いたわ」
小さな広場の隅に座ってシャナは答える。
―――そういえば、今朝はあの子の姿を見ていないわ…
あの時偶然に見た、薄暗い中浮かぶ青銀の髪。
視線に気付いてシャナを見た翠の瞳。
それからシャナはあの時間に起きる習慣を付けた。
綺麗で、怖い存在に惹き付けられたのだ。
声を掛けた少年はシャナの返答に不満なようだった。
「シャナは嫌じゃないのか?あんな奴、化け物じゃないか」
「テーベー、あなたはもう少し自分の目で周りを見るように心がけないといけないわね」
溜め息混じりにテーベーを見つめ、今度は隣にいるもう1人の少年に首を傾ける。
「ソウル、あなたは?」
栗色の短く切られた髪が風に揺れる。
この国の中に多い髪の色の1つだ。
「別に俺は髪の色がどうとか気にしてなかったし。良いんじゃないかな」「なんだよ。ソウルもそんな事言うんだな」
腕を組み、唇を尖らせるテーベーの髪はこの国で1番多い黄色。
ノインより暗い色をしていた。
「もうそんな事言ってられないよ、テーベー。父さんが言ってたけど、あの子はこれからはこの村の中の1人になるんだからさ」
たしなめるよう言い聞かせてもテーベーはやはり納得していなかった。
「とにかく、俺は認めないからな」
シャナは溜め息を吐く。
人間こうなったら頑固だ。
考えを変えさせるのは時間が解決してくれるだろう。
「まあ、いいよ。ところでノインは?」
何時もならここに来ているはずのノインがいない事に気付いたテーベーが辺りを見回す。
「そういえばいないわね」
気付いたシャナも首を傾げる。
溜め息混じりにソウルが腕を組む。
「ならノインの家に行こう。あの時みたいにまだ寝ているかも知れないし」
そう、ノインは時々こんな時間である昼まで寝ている事があるのだ。
遊ぶ為に待っているこっちにとっていい迷惑である。
時間削減にも、ノインが遅いと感じた時は迎えに行くようにしていた。
「じゃあ皆にはここで待ってもらって何時も通り私達3人だけで行きましょう」
「そうだな」
ソウルが頷いて、シャナは立ち上がる。
そうして向かった先に見たものは―――
「何でいるんだ…?」
信じられず憤りを感じつつテーベーは呟いた。
視線の先にはダンガンとアルマとノイン、そして青銀の髪―――
「その剣で良いのか?」
念を押すようにダンガンは再度尋ねる。
「はい、これが良いんです」
エリクが持つ剣は大の大人が持つような長剣だった。
柄に龍の姿が彫られた美しい剣ではあったが。
「前、私が使っていた剣も同じくらいのものだった事は覚えていませんか?」
まるで以前から所持していたというように鞘を慈しみ撫でる。
「そうだったな。扱えないのではという心配は不要だったか」
その言葉にエリクが微笑むと、ダンガンも微笑む。
そしてポケットを探り、掴んだものをエリクに手渡した。
「首から掛けられるようにしてみた。このような感じで良いか?」
昨日、預けていた翠色の石だった。
銀の金具が付けられ、細い革紐が伸びている。
「ありがとうございます」
壊れないように石を両手で包む。
欠けた半身が戻ってきたかのような仕草だ。
「最後に、右手は動かさないように。傷口が開くからね。それと必ず3日ごとに傷の状態を見せに来る事。ノインを迎えに行かせるから」
「分かりました」
エリクが頷くのを見て、ダンガンはさらに笑みを濃くする。
「なら、早くジルにその元気な顔を見せてあげないとな」
「……」
「エリク?」
笑顔が引きつったのを見て、ノインは顔を覗き込む。
上目遣いに見返されて、思わず息を飲む。
「おばあちゃん、怒ってましたか?」
エリクは引き取り手である老婆のジルに無茶をした事を怒られると思っていたのだ。
ダンガンはノインを笑いたい気持ちを押さえ込み、
「いや、怒ってなどいなかったよ。心配はもちろんしていたけどな」
平常心を保ちつつ否定した。
「そうですか」
明らかにホッと胸を撫で下ろす。
「ノインに家まで送らせよう」
エリクの頭を撫でながら、ダンガンはノインに目配せする。
真顔に戻ったノインはそれに頷く。
まだ、安心は出来ないのだ。
いくら村がエリクを受け入れる事になったとしても、人に根付いている不安や疑心は簡単にはなくならないのだから。
「また遊びに来てね、エリクちゃん」
アルマとハンナが家から顔を出し、エリクに手を振る。
エリクはその2人にお辞儀をし、ダンガンにも頭を下げた。
「ありがとうございました」
それを見計らってノインがエリクに言う。
「行こう?」

「―――!!」
一部始終を見ていたテーベーは歯を食い縛り、踵を返して来た道を走って行った。
シャナとソウルもノインとエリクに見付かる前に場所を離れる。
「テーベーの奴…」
ソウルが仕方ないとばかりに溜め息を吐いた。
「仕方ないわよ。だって親に依存している私達なんだから。親の考えがそのまま子供に伝わっているのというのはおかしくないわ」
「まあな」
随分大人びたシャナの言葉にソウルは今や驚かなくなっていた。
10歳という年齢にも関わらず、シャナは同年代のテーベー、もとい他の子供とは違い、しっかりと自分の考えを持っている。
ノインと同じ14歳であるソウルも年齢が年齢なだけに自分の考えはしっかり持っているが、初めてシャナと会話した時は年下という事を思わず忘れてしまうくらいだったのだ。
「テーベーも早くシャナみたいに大人になって欲しいな」
別にテーベーの子供っぽさが嫌いなわけではないが、こういう部分は早く大人になって欲しいと良く思う。
「大丈夫よ。子供はすぐに順応するから、きっと近い内に仲良くなれるわ」
その表情が輝いて見える。
「そうだな」
そうだと良いけど、とは付け加えなかった。
テーベーの頑固さは重々承知だが、シャナの言葉を信じたかった。
「私、今から楽しみよ。あの子と遊ぶのはきっと楽しいと思うわ」
「ああ」
ソウルは微笑む。
この村に漂う疑心は晴れてしまえば良い。
皆で楽しめる村になれば良い。
深く思う。

家を出された。
いや、出掛けさせられたと言った方が表現は合うだろうが。
持たされた1枚の紙切れを持ってエリクは家の前で途方に暮れていた。
「やはり怒っていたのだろうか?」
昨日家に帰った時は、何ら変わった様子はなかったのだが、今日は起こされるや否や買い出しを頼まれたのだ。
しかも半ば強制的。
買い出しは初めてだが、エリクが朝、家にいる事自体も初めての事だった。
本当なら今日も家を出る予定だったのだが、昨日ノインに無理はするなと念を押され、やむなく家にいる事になったのだ。
「怒っているのならそれは私が悪いのだから仕方ないのだけれど…それにしてもこれは…」
エリクは困り果てて眉を寄せる。
手に持つ紙切れには、大の大人でも持ちきれない程の量の日用品の名前が書き連ねていた。
明らかにエリク1人では持てない量である。
「いや、別に量が多いのは問題ではないのだけれど…」
躊躇いがちに前方を見据える。
エリクにとって最大の難関は、人と会う事だった。
人と会わずに買い出しが出来るのであれば良いのだが、それは到底無理な話だ。
「…ノイン」
一瞬ノインの顔が浮かんだがすぐに考え直す。
言えばきっと手伝ってくれるだろうが、これ以上迷惑は掛けたくなかった。
「自分で何とかしないと…」
そう自分に言い聞かせはするのだが、足は1歩も進まない。
体全体で店のある、村の中心に行く事を拒否している。
自分が情けなくて溜め息が出た。
「とりあえず行かなくちゃいけないんだから、我慢しないと」
「何を我慢するの?」
「―――っ!?」
顔を上げた瞬間、目の前に頭半分低い少女が首を傾げているのに驚き、エリクは後退る。
「お、お前…」
化け物でも見たかのようなエリクにシャナは微笑む。
「シャナよ。宜しくね、エリク」
驚き過ぎて何も言えないのか、エリクは口を閉開させるだけだ。
その手に紙切れが握られているのにシャナは気付く。
「やだ、何これ。こんなのエリク1人じゃ持ちきれないじゃない。私も手伝ってあげるわ」
言って、エリクの手を握る。
「―――っ!」
息を飲む気配がする。
「慣れない?こういうの」
小さく笑いながら手を引くと、素直に握る手はついてくる。
その内、背後からエリクが、
「お前、朝何時も私を見ていた子だよな?」
確かめるようにシャナに尋ねた。
歩みを遅めると、エリクはシャナの隣につく。
「やっぱり気付いてた?そうよね、1番最初のエリクを見た時に私に気付いたんだから、その後も見ていた事も気付いてるわよね」
分かっていても、それでも改めて言われると恥ずかしいものだ。
少し熱くなった頬にシャナは手を当てる。
「どうして私を…?」
隣に立ってもエリクは顔を合わせようとはしなかった。
「まだノインにしか慣れていないのね」
顔を覗き込んで微笑む。
「そうね。始めは唯の興味からだったわ」
空を見上げながらシャナは思い出す。
「でも、何時も見ている内に唯の興味はあなた自身への興味に変わった。初めは青銀の髪は怖い存在だったわ。それも何時しか私を魅了する、綺麗な存在にもなった」
握る手に力を込める。
言葉にするのは恥ずかしかった。
けれど分かって欲しかった。
「私はずっとあなたと友達になりたかった」
目を丸くして翠の目がシャナを凝視する。
手を握り続けてお互い沈黙する。
緊張で鼓動は速くなっていた。
エリクにも聞こえていそうな程に大きく聞こえた。
シャナは思わずギュッと目を閉じる。
何でも良い。
何かを言って欲しかった。
この沈黙を破る言葉が欲しかった。
その気持ちに気付いたのか、
「シャナ…?」
不意にエリクが躊躇いがちに、初めて名を呼んだ。
目を開けて見てみれば、昨日ノインの家で見たものと同じ笑顔がある。
「ありがとう」
それ以上の言葉はなかった。
だが、それだけで十分だった。
「うん」
シャナも笑顔で応える。
「じゃあ、親睦を深める為にとりあえず一緒に買い物ね!」
「ご指導お願いしますよ」
小さく笑う。
「任せて!」
その一言で意味を悟ったシャナは明るく声をあげる。
エリクが買い物をした事がない事を。
無い記憶の中では必ず1度はあるのだろうが、ここに来てからは買い物どころか人の接触さえも数える程だろう。
だからこそ、ああ言ったのだ。
指導、などと。
「それじゃ、行きましょう。荷物が持ちきれなくても大丈夫よ。私が色々と友達を捕まえて来るわ」
張り切ってシャナは再度歩き始める。
「…助かるよ」
隣を歩くエリクの声が、少し上擦ったのは聞かなかった事にしておこう。
ついでに、笑顔が引き攣った事も。

「ああ、もう何なのよ!この荷物!!」
1軒目の店を出て、シャナは我慢出来ないとばかりに大声を出す。
店の壁に寄せるように置いた袋は既に6つにもなっている。
「大丈夫かい?1度家に持って帰った方が良いんじゃないかねぇ」
その量に心配して出てきた店の女主人が2人と袋を交互に見遣る。
少し口調がぎこちないのはエリクがいるからだろう。
「大丈夫です」
半分意地もあったのだろう。
エリクがうんざりした面持ちで荷物を見る。
素直に返事が出来たのは、人がどうとかと考えているどころではなかったからだ。
「そうかい?でもやっぱりこの量は…」
そうは言ってもやはり心配なのだ。
女主人が更に言葉を続けようとした、その時、
「ソウル!」
シャナが顔を輝かせた。
少し離れた所を歩いていたソウルは呼ばれて店の方へと方向転換する。
「何してるんだ?2人して」
自分の姿を見付けても憶さないソウルにエリクは驚く。
「もしかしてこの荷物を2人で持って行こうとしたのか?」
店の横に広がる異様な光景を見て悟ったソウルは腕を組む。
「そうなのよ」
まるで未開のジャングルで迷っているうちに村を見付けた時の如く、シャナはソウルの手を掴んで頷いた。
「だから手伝って!」
「良いけど」
さらりと返事をしたかと思うと今度はエリクに首を傾ける。
少し目を細めて微笑んで、
「宜しく」
一言挨拶した。
「…こちらこそ」
シャナと同じ雰囲気の瞳の持ち主だ。
エリクは思う。
「じゃあ、2軒目に行きましょ」
仲間が増えた事で俄然やる気が出たシャナが張り切って袋を2つ持つ。
「そうだな」
エリクがそれに同意すると、ソウルが信じられないとばかりに目を剥いた。
「買い物はこれだけじゃなかったのか?!」
「まだまだよ。あと荷物~3軒は回らないと、頼まれた物が全部揃わないわ」
「だからって…この人数じゃ明らかに無理だろう!」
明るい口調に呆れ口調の張り声が交ざる。
どうしようか、などと考えていたエリクだが、背後から裾を引っ張られている事に気付いた。
振り返ると、腰より少し高いくらいのまだ幼い女の子と、シャナと同年代位の少女がいる。
「あなたがエリク?」
フワフワと微笑んで尋ねる少女にエリクは頷く。
栗毛のクセのある髪が余計フワフワとした印象を与えていた。
「私はラノア。11歳よ。宜しくね?」
「リナはねぇ、7歳なの!」
裾を掴んでいる女の子もラノアと同じ栗毛の髪を揺らしながら飛び跳ね、幼い子供特有の笑顔を浮かべる。
ソウル以外にも憶さず話しかける子供がいる、その事にエリクの頭は既に混乱し始めていた。
「…2人は姉妹か?」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
「あ、いや…こんな事を言いたかったんじゃなくて…」
慌てて言い直そうとしても更に泥沼に足を突っ込んでいくようだ。
しどろもどろになるエリクに、ラノアが微笑んで、
「落ち着いて?」
肩にそっと触れた。
「私達は姉妹ではないわ。リナは私のお隣さんよ。良く一緒に遊んでいるだけ」
「うん!リナはラノアのお姉ちゃんにいっぱい遊んでもらってるの!今度はエリクのお姉ちゃんも一緒に遊ぼうね?」
エリクの手を取って、ギュッと握る小さな手。
「うん」
無意識に、自然と手を握り返してエリクは頷いた。
「あ、ラノアとリナじゃない!ほら、ソウル。これで手伝ってくれる人が増えたわよ!」
今までずっと討論していたのか、シャナがほら見ろといわんばかりにエリク達3人の環に入る。
「まだ決まったわけじゃないだろう!」
何時もならとっくのとうに話の折り合いを着けているはずのソウルも後に続いて環に入った。
今やソウルは完全にシャナのペースに嵌っている。
シャナはそんなソウルの言葉を無視してラノアの手を取った。
「今困ってるのよ!ラノア、リナ、手伝ってくれない?」
「良いわよ?」
「リナ手伝うー!」
快く承諾してくれる2人。
但しラノアだけは少し違う。
「見返りはあるのよね?」
「…がめついわね、あんた」
ヒクリとシャナの唇が引き攣る。
思わずエリクは吹き出してしまった。
「何よ、エリク!」
もちろんすぐ傍にいる全員に聞こえ、シャナが頬を膨らませてエリクを軽く睨む。
気付いたエリクは笑うのを止めて、それでも堪えきれなくて引き攣り気味の笑みを浮かべる。
「仲が良いなと思ってさ」
それは間違いなく本心ではあった。
けれども、今のエリクでは全く説得力はない。
ブフッと溜めていた息を吹き出して、かといって思い切り笑い出すのも悪いから、小刻に体を震わせて笑った。
「いや、ごめん。でもどうにも止まらなくて」
時に咳き込みながら、エリクは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「なんなら思い切り笑いなよ。どうせ俺が笑われてるわけじゃないし」
ソウルも吊られて穏やかに微笑み。
「何よそれ!あんたも笑われなさいよ!」
「リナも笑うー!アハハハハハ!」
そこを通った人は、何事かと思った事だろう。
それくらい、そこは笑い声に満ちていた。
しかも、エリクという存在を受け入れて。
「まあ、とりあえず話は戻すけど、私達はエリク達を手伝うわ。だって、私達も、『皆』もそのために来たんだもの」
「え?」
ラノアの言葉にエリクが始めに反応する。
「どういう事?」
シャナとソウルも始めかけた討論を止めてラノアに首を向ける。
「大人が何も言わなくなったなら、エリクは忌むべき、恐怖の対象だけにはならないわ。私達子供にとって、興味を、好奇心覚える存在。そうやって集まった『皆』よ」
そう説明して自らの背後を振り返る。
立ち並ぶ店と家。
その壁の後ろから何人もの子供の首が顔を出した。
こちらに来たいけれど、行かれない。
そんな感じだ。
「―――っ」
言葉が出ずに、ただ息を飲む。
エリクの気持ちを察知したのだろう。
シャナがエリクの手を握り、
「良かったわね」
優しく囁いた。
「…うん」
頷くしか、言葉は見付からなかった。
嬉しさに、涙を堪えるのに必死だった。
「うん」
もう一度頷いて、シャナの肩にそっと顔を埋める。
ノインに早く会いたかった。
ノインなら、彼ならきっと一緒に喜んでくれるはず。
「…ありがとう」
夢のような心地だった。
ノインと会って、こんな短期間で全てが変わるなんて。
帰ったら、ノインに会いに行こう。
そして、ありがとう、と言うんだ。
ちゃんと笑って。
私を見付けてくれて、ありがとう―――と。

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